世界が雨に啼く音

I CAN'Tで語る言葉たち…   

何かを好きになると言うこと

わたしが音楽に出会ったのは中学一年生の頃に母親が押し入れにしまっていたアコースティックギターを触ったがきっかけだった

それまでわたしは音楽の音の字すら興味のない子供で、はっきり言えば

小学生時代に音楽の授業で何をしていたか記憶にすらないほどだった

アコースティックギターは弦がとても硬い、指に強烈な痛みが走る、セーハという人差し指で全部の弦を押さえる方法でまず、最初の難関であるFコードの高い壁…とても苦労した

しかし、自分の指が奏でる音にとても心地よい感覚を覚えた

最初はどんなに強く押さえても音がこもってしまい、綺麗な音が出ないのだ

綺麗な音を出したくて練習をした、綺麗な音が出ると何か曲を弾きたくなった

 

二ヶ月経つ前に、もうアコースティックギターの弾き語りができるようになったのだが、そんな中で学校で選択式授業があった

ひとつは美術、ひとつは音楽という選択式だった

それまでギターを一人黙々と練習していた興味からどんな物が待っているのかという思いから音楽を選択した

音楽の先生は部活動の顧問では非常に怖いと評判で、不安を抱いてはいたが、音楽を選択したのがたった二人だったということもあるのか、最初からむしろ音楽の授業よりも優しく感じた

そこでわたしは《作曲》と出会うことになる

 

実は教室で先生が来る前に控え室に無造作に置かれていたクラシックギターを弾いて遊んでいたのだが、いつの間にか先生が後ろに立っていて、授業を始める間際、わたしのところへやってきて

 

「作曲をしてみない?」と笑顔で言うのだ

作曲を…?

「いますぐには作曲は無理だと思うから、口ずさんだメロディを音符にしてあげる。その歌を発表することが今回の選択式授業の課題にしよう」

先生はピアノの前に座ると

「コードを知ってるね?コードを最初に作ってそれに合ったメロディを考えよう」と言う

とても新しい感覚だった

先生の奏でるピアノの音が僕が考えたコード進行を奏でている

軽いショックというか、新しい感覚だった

心の中で何かが解放されたような、そんな喜びに近い感動だった

それからわたしは家に帰り、すぐさま楽譜の勉強を始めた

本屋さんで音楽の本を見ると何かVとかIVとか意味のわからない記号が書かれていたが、音楽理論なんか興味なかった、糞食らえとも思った

 

《何もかも一人でやろう》

 

そう思ったからだった

好きなことが出来て毎日が輝いた

学校から帰宅するとすぐ楽譜の勉強だ

音符の速さ、種類、反復記号、たくさんの不思議な出会いにもっとのめり込み、そしていろんな音楽を聴いてそのメロディを耳コピしてみる

なんと中学二年生にあがる頃のわずか三ヶ月で楽譜がスラスラ書けるようになり、流れてくる音楽をすぐさまギターで弾き語ることができるようになった

曲は未熟かもしれないが、作曲も完璧にできるようになったのだ

あの日、先生がわたしの音楽への興味のあるべき方向に気付き、作曲を勧めてくれたのかもしれない

そこで作曲を勧めてくれなかったら作曲の楽しさに気付いていなかったかもしれない

先生にはとても感謝をしている

 

 

突然だが、わたしは小学生から高校生の頃、アスペルガー症候群だったと思う

二十歳くらいまでアスペルガー症候群の症状が強く出ていて、とくに悲しく感じるのは小学生時代の記憶がほとんどない

興味のないことへの好奇心がほとんどなかった(いまもそうだ)それが小学校という枠全体にあらわれているのは自分でもおかしいと思う

断片的に覚えている記憶を含めても6年間の小学校生活の想い出が数えるほどしかない

母親はとても苦労をしていたようで、授業中に寄生を上げて授業を妨害したり、無意味な言語を話したり、真っ赤な牛を書くなど

数えきれないほど担任から精神的な病気があるのではないか?と相談を受けていたそうな

残念だが何も覚えていない、それを告げられたときショックを受けたくらいだ

診断はされていないが、その時に精神科にもし連れていかれたらまた人生が変化してしまっていたかもしれない

連れていかれなくて結果的に良かったと思っている

 

 

話は戻るのだが、時折ぶっきら棒に語ってしまっていた

「音楽が好きなのに楽譜も読めないの?なぜ音符も読めないの?」

わたしにはその場で話した彼ら彼女らの音楽への努力が足りないと確信してしまったが、もしかしたらわたしがアスペルガー症候群の症状があったからこんなにも熱中できたのだろうか?

そう考えてしまう時がある

好きなことは妥協したくない、自分の進歩が面白くて仕方ない

最近、5年間DTMをやって不協和音、構成、メロディ、すべてハチャメチャな曲ばかり作る人を見た

そんな人は進歩を楽しんでいないのだろうか?自分から生まれる音が輝いて見えていないのではないか?

 

音楽で満足するなんてことは決してありえない、あってはならない

自分のいま作っている音楽に満足したらそこで終了だ

 

何かを好きになるということ、それは

 

《自分自身を輝かせる》

 

と言うこと